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  • 壁1㎡の中に、東京ドーム何個分の穴が開いている

    先月、堺市のマンションで壁紙の張り替え工事に立ち会った。

    職人さんが石膏ボードの断面をカッターで切ったとき、断面がものすごく細かい粒粒で構成されているのが見えた。砂糖を固めたような感じ、とでも言えばいいか。「これ、スカスカじゃないですか」と思わず声に出してしまった。

    以前は、壁というのは「固体の板」だと思っていた。触れば硬いし、叩けばコツコツ鳴る。固体=隙間がない、という思い込みが自分の中にずっとあった。

    でも本当にそうなのか?

    石膏ボードを顕微鏡レベルで見ると、無数の微細孔が走っている。要するに、表面は「面」ではなく「穴だらけのスポンジ状の構造」だということだ。平らに見えているのは目が粗いだけで、ミクロで見れば洞窟が密集している。

    では、壁1㎡の本当の表面積はどれくらいか。

    材料科学の研究では、多孔質素材の「真の表面積」は外から見える面積の数万倍から数十万倍になることがある。計算の仮定によって数字は変わるが、石膏ボード1㎡の真の表面積が数千㎡に達するという話は、素材の世界では珍しくない。

    東京ドームのグラウンド面積が約1.3万㎡。

    つまり壁1枚の中に、それに匹敵するような表面積が折り畳まれている可能性がある。「かもしれない」と書きたいところだが、数字の桁が合っているのだから、事実として向き合うしかない。

    カステラを想像してほしい。外から見れば長方形の一塊だが、断面には無数の気泡がある。あの気泡の内壁をすべて広げたら、外から見た表面積の何倍になるか。石膏ボードで起きているのはそれと同じことで、しかも気泡の大きさがカステラより遥かに小さい分、表面積の倍率はケタ違いになる。

    「で、それが何なの?」と思う人がいるのはわかる。

    匂いの分子は、この無数の穴に入り込む。

    タバコのヤニでも、孤独死の現場のニオイでも、揮発した成分は空気中を漂った後、行き場を求めてこの微細孔に潜り込む。表面積が大きいほど、吸い込める量も増える。東京ドーム何個分の内壁に、ニオイの分子が貼り付いているとしたら——消臭スプレーを壁の表面にシュッとかけるだけで解決しようとしていた自分が、いかに的外れだったか。

    「よし、これで消えたはず」と思っていた。何度も。

    そのたびに数日後にモワッと戻ってくる理由が、今はわかる。

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  • 建材別BET比表面積の比較:土壁・石膏ボード・珪藻土

    比表面積という概念を初めて真剣に考えたのは、もう20年以上前のことだ。

    当時、ある古い旅館で「部屋に入った瞬間から匂いが違う」という体験をした。土壁仕上げの純和室だった。それまで私は「土壁は調湿するから快適なんだ」という説明を何となく受け入れていたが、その日から「調湿する、とはどういうことを分子レベルで言っているのか」という問いが頭から離れなくなった。

    BET法という測定手法がある。窒素ガスの吸着量から固体表面の実質的な面積を計算する方法で、1938年にBrunauer、Emmett、Tellerの3人が発表した。単位はm²/g。つまり「1グラムの中に何平方メートルの表面が隠れているか」を表す数字だ。

    この数字を建材に当てはめたとき、私は自分が思っていたよりずっと複雑な世界を見ることになった。

    数字を並べてみる

    先に概数を書いておく。

    土壁(荒壁・中塗り程度の伝統的な土壁)のBET比表面積は、使用する土の種類によってばらつきがあるが、おおむね30〜80 m²/g程度の範囲で報告されている。主成分であるモンモリロナイトやイライトといったスメクタイト系粘土鉱物の比表面積が高いため、この値が出る。

    珪藻土は、珪藻の殻(シリカ質)が堆積した素材だから、その多孔質構造はもともと生物が作ったものだ。壁材として使われる珪藻土の比表面積は20〜60 m²/g程度とされている。ただしこれは珪藻土原料の値であり、バインダーの添加や焼成処理によって大きく変動する。市販の珪藻土壁材では原料よりかなり低い値になっているケースが多い。

    そして石膏ボード。焼石膏を再水和したβ型二水石膏(CaSO₄・2H₂O)の結晶が主体で、BET比表面積は1〜5 m²/g程度という報告が多い。

    「やはり石膏ボードは低いのか」と思われるかもしれない。ここで少し立ち止まってほしい。

    「低い」のに「吸う」のはなぜか

    石膏ボードの調湿性能は、JIS A 6901の規定でも認められており、実測でも確認されている。吸放湿量は24時間で30〜40 g/m²前後という値が教科書的には引用される。

    比表面積が土壁の10分の1以下なのに、なぜ石膏ボードはこれほど水分を動かせるのか。

    答えは結晶水にある。β型二水石膏は、その結晶構造の中にチャンネル状の空隙を持ち、水分子が比較的自由に出入りできる「動的な水」を内包している。BET法で測定される窒素吸着量は表面積を反映するが、水分子にとっての「入り口」の数は、窒素分子が感知する表面積とは別の話だ。

    つまり、比表面積が低い=吸湿しない、ではない。

    石膏ボードは「表面積では不利だが、結晶内部の水輸送メカニズムで補っている」素材だと私は理解している。これは正直、建材科学の中でも面白い特性の一つだと思う。

    【調べていて気になったメモ】
    β型二水石膏のチャンネル構造については、粉末X線回折とMAS-NMRを組み合わせた研究がいくつか出ているが、建材スケールでの水分移動との定量的な対応関係は、まだ文献によってばらつきがある。特に高湿度域(RH80%超)での挙動は、低〜中湿度域とは異なるメカニズムが関与している可能性が示唆されているが、ここは私もまだ完全に理解できていない部分だ。

    珪藻土の「見かけ」問題

    珪藻土について、もう少し書かせてほしい。

    珪藻土は近年、壁材として非常にポジティブに語られることが多い。「自然素材」「高い調湿性」「VOC吸着」——これらは全て、原料としての珪藻土が持つポテンシャルに基づいた説明だ。

    しかし実際の壁材製品になると話が変わる。

    あ、これは余談だけど、私が珪藻土壁材に強い関心を持ち始めたのは、ある住宅で「珪藻土を塗ったのに匂いが取れない」というクレームを聞いたことがきっかけだった。最初は施工不良を疑ったが、調べていくうちに素材の問題に行き着いた。

    珪藻土の細孔構造は、主にナノレベルからマイクロレベルの細孔が混在している。しかしバインダー(合成樹脂系が多い)を加えると、細孔が物理的に塞がれてしまう。実際、市販珪藻土壁材のBET比表面積を測定した研究では、原料珪藻土の1/5〜1/10程度まで比表面積が低下しているケースが報告されている。

    これは「珪藻土壁材」を名乗る製品が悪い、という話ではない。施工性や耐久性を確保するためにバインダーは必要だ。ただ、「珪藻土だから高調湿・高吸着」という図式が、素材の原料スペックと市販品スペックの間の大きなギャップを無視している場合がある、ということは認識しておく必要がある。

    比表面積が「効く」分子と「効かない」分子

    ここからが、私がこのブログ「封印ラボ」で長く追い続けているテーマに近づいてくる。

    水分子(H₂O、分子径 約0.28 nm)と、代表的な悪臭成分・VOCの分子径を比べると、例えばアンモニアで約0.26 nm、アセトアルデヒドで約0.5 nm、トルエンで約0.6 nm程度だ。

    石膏ボードの比表面積は低い。しかし水分を動かす。

    では、悪臭成分やVOCはどうか。

    「水分子は通せるが、大きな分子は通せない」——そう言いたいところだが、現実はそれほど単純ではない。実際には石膏ボードもアルデヒド類を吸着することが分かっている。問題は吸着した後の話で、高湿度条件下では水分子が競合吸着して、一度取り込んだ揮発性成分が再放出されやすくなる可能性がある。

    土壁の場合、比表面積は高いが、粘土鉱物の親水性も高い。だからやはり高湿度での競合放出が起きうる。

    【調べていて気になったメモ】
    粘土鉱物の水・有機分子競合吸着については、土壌汚染分野の研究が建材分野より蓄積が多い。農薬成分の土壌吸着・脱離を扱った研究から逆算すると、建材内部でも似たメカニズムが起きているはずなのだが、建材の実使用環境(温度・湿度の季節変動あり)での検証データは意外に少ない。

    比表面積が高ければ「吸って封じ込める」わけではない。吸着の可逆性をどう制御するか、という問題が残る。

    これは土壁にも珪藻土にも石膏ボードにも共通した課題だ。

    そして正直に言えば、この3つの建材の中でどれが「吸着した匂い成分を最も再放出しにくいか」という比較研究は、私が知る限り、体系的に行われたものをまだ見つけられていない。条件を揃えた上での比較——同じ温湿度サイクル、同じ試験ガス濃度、同じ測定期間——でやった研究があるなら、ぜひ読みたい。

    数字の向こうにある設計の問題

    BET比表面積という数字一つを見ていても、建材の匂い・空気質への関与は分からない。吸着等温線の形(特にLangmuir型かFreundlich型か)、細孔径分布、表面の化学的性質(親水・疎水のバランス)、そして使用環境での温湿度変動——これら全てが絡み合っている。

    「比表面積が高い=良い素材」という単純化は危険だ、と私は思っている。

    一方で、比表面積を全く無視して「調湿性能がある」と言うことも正確ではない。数字はあくまで入口に過ぎないが、入口を無視すると話が宙に浮く。

    石膏ボードについていえば、比表面積の「低さ」は欠点ではなく、結晶構造由来の別の吸着機構との組み合わせで理解すべき数字だ。私はこの素材をそういうものとして見ている。

    次に調べたいのは、石膏ボードの細孔径分布と水蒸気吸着等温線の形状について、もう少し詳しく掘り下げることだ。特にRH60%を超えた領域でのヒステリシスの大きさが、悪臭成分の再放出挙動とどう相関しているか——そこに、この問題を考えるための重要な手がかりが隠れているような気がしている。

    この研究について情報交換・ご連絡は keshisaru-g@keshisaru.com まで。

  • 封じ込めるとはどういうことか——壁の中で何が起きているのか

    去年の夏、天王寺のマンションで原状回復の立ち会いをした。退去から3週間経っていた部屋だった。

    ドアを開けた瞬間、モワッとくる。

    クロスは張り替え済み。床も新しい。なのにニオイだけが残っている。業者さんが「施工はちゃんとやりましたよ」と困った顔をして言う。そこで私も「そうですね」と答えながら、心の中では「じゃあなんで臭いんだ」とずっと思っていた。

    あれは10年以上前の話だ。当時の私は「封じ込め=新しい層で覆う」だと思い込んでいた。クロスを剥がして、新しいのを貼れば解決する。そういう理解だった。今から思えば、完全に間違えていた。

    「封じ込める」とは何か、と改めて考えると、これがけっこう深い話になる。

    料理で言うと、においの強い食材をラップで包むとする。ラップが薄ければ、においは少しずつ透過する。完全に封じ込めるには、においの分子がそのラップの隙間を通り抜けられない状態を作らないといけない。材質と厚みと、密着度。この三つが揃って初めて「封止」になる。

    壁も、同じ話だ。

    臭気の発生源があったとして、その上からクロスを貼っても、クロスという素材にはそもそも透過性がある。特に布クロスは論外として、ビニールクロスでさえ長期的には分子レベルの移動が起きる。要するに、「見た目を覆うこと」と「ニオイを止めること」はまったく別の話なのだ。

    じゃあ何が本物の「封止」なのか。

    物理的封止という考え方がある。発生源そのものを、においの分子が通過できない素材で物理的に閉じ込める。ここが概念として面白くて、「ニオイを消す」のではなく「ニオイを出さなくする」という発想の転換がある。消臭と封止は、そもそも目的が違う。

    以前の私はここを混同していた。消臭剤を吹いて、クロスを貼れば「対処した」と思っていた。でも発生源が壁の内側にある限り、それは蓋をしただけで、しかも蓋の素材がニオイを止められていない状態だった。当然、しばらくすれば戻る。

    「なんで戻るんだ」と当時は業者のせいにしていた部分もある。正直に書く。今なら分かる。戻るのは当たり前だったのだ。

    壁の内側で何が起きているか、を考えずに「表面だけ綺麗にした」状態では、封止にならない。そういう現場を、私はオーナーとして何度も経験してきた。そしてその経験が、今ケシサルJapan株式会社でやっている研究の出発点になっている。

    物理的封止の具体的なメカニズムと、素材の選び方については、別の研究記事に書いてある。

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  • 匂い分子は壁のどこに隠れているのか

    去年の夏、天王寺のマンションで孤独死があった。

    特殊清掃の業者が入って、床を張り替えて、壁も一度拭いた。「これで大丈夫です」と言われた。確かにその日はそうだった。

    問題は、夏が終わって秋になったころに起きた。入居希望者を案内したら、「なんか、変な匂いがしますね」と言われた。

    私はその場で固まった。


    あの経験から、「消臭したのにニオイが戻る」という現象をずっと追いかけている。以前は単純に「清掃が甘かったんだろう」と思っていた。拭き残しがあったとか、床下まで染みてたとか、そういう話だと思っていた。

    でも、実はそうじゃなかった。

    匂い分子は、壁の「表面」じゃなくて「中」に入り込む。これが問題の本質だった。


    少し構造の話をさせてほしい。

    一般的な室内の壁というのは、大雑把に言うと「クロス(壁紙)+石膏ボード+断熱材+構造体」という層になっている。要するに、玉ねぎみたいに何枚も重なってる。

    で、匂い分子(専門的にはVOCとか悪臭物質と呼ばれる)は、気体だ。気体は隙間があれば入っていく。パンにバターが染み込むように、壁の層と層の間をじわじわと移動する。

    特に石膏ボードは、湿気を吸ったり吐いたりする素材で、これ自体は建材としてとても優れた性質なのだが、その呼吸する仕組みに、匂いの分子も一緒に取り込まれていく。スポンジが水を吸うのと同じ原理だと思えばいい。

    だから表面を拭いただけでは、中に入り込んだ分子には届かない。


    「じゃあなんで時間が経つと出てくるのか」という話をすると、これは温度と湿度の変化が関係している。

    気温が上がったり、湿度が変わったりすると、壁が吸い込んでいた分子を再放出する。秋になって「変な匂いがする」と言われたあの部屋も、おそらくそういうことが起きていた。

    一度吸い込んだものを、壁が吐き出す。

    これを業界では「再放散」と呼んだりする。要するに「隠れていたものが出てきた」ということだ。


    こう書くと「じゃあ壁を全部剥がすしかないの?」という話になりそうだが、そんな極端な話ではない。匂いがどこにどう潜んでいるかを理解すれば、対処の仕方も変わってくる。

    表面だけを攻めていた時代に戻りたくない、というのが正直な気持ちだ。

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  • 乾式工法が日本を変えた日

    去年の秋、堺市の築38年マンションを売却するために内見準備をしていた。

    リフォーム業者と壁を叩きながら回っていたとき、職人さんが「ここ、石膏ボードですわ」と言った。「あ、そうですか」と答えながら、私は正直そのとき何も考えていなかった。

    石膏ボード。当たり前すぎて、疑問に思ったことすらなかった。

    でも後から調べたら、あの「当たり前」が生まれたのは、ほんの50〜60年前の話だと知った。


    昔の日本の内壁は「湿式工法」といって、左官職人が泥や漆喰を何層にも重ねて塗り上げるものだった。乾くまでに何日もかかる。湿気を吸って、吐いて、呼吸する壁だ。手間がかかる分、職人の技術と時間がそのまま壁に詰まっていた。

    それが高度経済成長期に変わった。

    「乾式工法」の登場だ。要するに、あらかじめ工場で作ったパネル(石膏ボードが代表格)を現場で貼り付ける工法のこと。乾かす時間がいらない。職人の腕に左右されない。早い、安い、均質。そういう話だ。

    住宅の大量供給が求められた時代に、これは革命だったのだと思う。


    以前の私は「壁なんて、どれも同じようなもの」と思っていた。

    マンションを買うとき、売るとき、ニオイの問題が起きたとき、壁の「素材」そのものを気にしたことがなかった。でも今は違う。特殊清掃の現場を10年以上経験してきて、ようやく気づいた。ニオイが消えない部屋と消える部屋の差は、清掃の腕だけじゃない。壁の素材と構造に関係している場合がある。

    石膏ボードはスポンジに似ている。

    水分を吸う。ニオイの成分も吸う。表面だけを拭いても、ボードの内部に染み込んだものは取れない。風呂のスポンジを外側だけ絞っても、中がじっとり重いままなのと同じだ。

    乾式工法の壁が「早く、安く、均質に」作れる一方で、こういう弱点も一緒に抱えている。


    「よし、消臭した。合ってるはず」と思った翌週に、モワッとニオイが戻ってくる。

    あの不思議な現象の一端が、実は壁の工法と素材に隠れていたとしたら——。

    私はこの数年、そこをずっと考えている。

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  • 匂い放出の引き金:温度・湿度・気圧が石膏ボードを「しゃべらせる」条件

    梅雨入り直後の6月、管理しているマンションの空き室を久しぶりに開けた。

    廊下に一歩入った瞬間、ある種の刺激臭があった。締め切っていた期間は3週間ほど。前回の入室時には何も感じていなかった。換気をすれば30分で消える程度のものだったが、「なぜ今日だったのか」という問いが頭から離れなかった。

    気象庁のアーカイブで確認すると、その日の午前中は低気圧の通過に伴って気圧が996hPa前後まで下がっており、室内湿度は推定で80%を超えていた。外気温は26℃台。前日比で気温が5℃近く上昇していた。

    偶然の観察だったが、これが「匂い放出の引き金」を考え始めたきっかけだった。

    石膏ボードが「吐き出す」というのは比喩ではない

    建材の匂い問題を調べていると、「吸着・放散」という言葉に頻繁に出会う。VOC(揮発性有機化合物)や悪臭成分が建材に吸着し、条件が変わると放散する、という現象の総称だ。

    石膏ボード(主成分:硫酸カルシウム二水和物 CaSO₄・2H₂O)の多孔質構造は、吸放湿性という観点では建材として優秀な性質を持っている。JIS A 6901に規定される石膏ボードの吸放湿性能は、室内湿度の安定に実際に寄与しており、これは業界として誇るべき長所だ。

    しかし同じ多孔質構造が、水分子だけを選別して吸い込むわけではない。

    空気中に漂う揮発性成分——調理由来のアルデヒド類、タバコ煙のニコチン・アンモニア誘導体、ペット由来のアミン系化合物——これらも同様にボード内部の細孔に侵入し、蓄積する。細孔径の分布は数nmから数十μmにわたり、分子サイズの小さなVOCは特に深部まで到達しうる。

    問題は、この「蓄積した成分」がどんな条件で外に出てくるか、だ。

    温度・湿度・気圧、それぞれの「引き金」としての働き方

    この3つの環境変数は、それぞれ異なるメカニズムで匂い成分の放出を促す。整理するとこうなる。

    温度の影響:脱着エネルギーの問題

    吸着された分子が表面から離れるには、活性化エネルギーを超える必要がある。温度が上昇すると分子の熱運動が活発になり、弱い物理吸着(ファンデルワールス力による吸着)の状態にある成分から順に脱着が始まる。

    室温10℃の冬場に静かだった部屋が、夏場に急に「臭くなる」という報告は複数の入居者から受けてきた。これは感覚の問題ではなく、温度上昇による脱着促進がほぼ確実に関与している。石膏ボード表面の温度が30℃を超え始める時期と、苦情の季節性は一致している。

    湿度の影響:競合吸着と置換放出

    ここが最も複雑で、私もまだ完全に理解できていない部分だ。

    湿度が上昇すると、石膏ボードは水分を吸着しようとする。この水分子が既存の吸着サイトを「奪う」形で、先に吸着されていたVOCや悪臭成分が追い出される——という置換放出のメカニズムが考えられる。

    実際、梅雨入り直後や台風接近時に「急に匂いが出た」という報告は複数ある。湿度が60%台から80%台へ急上昇した際の現象として記録している。

    ただし逆の報告もある。乾燥した冬場に「臭くなった」というケース。これは乾燥により水分子が細孔から離れ、奥に閉じ込められていた成分が移動しやすくなる——という別のメカニズムかもしれない。湿度の影響は単純な一方向ではない。

    【調査メモ】細孔内の吸着競合については、BET法による比表面積測定のデータが重要になると思われる。石膏ボードの比表面積は文献によって数値にばらつきがあり、測定条件(使用ガス種:N₂かCO₂か)によっても大きく変わる。特に細孔径2nm以下のミクロ孔の寄与をどう評価するか。ここは実測値のある論文を探しているが、建材分野での系統的なデータはまだ見つけていない。

    気圧の影響:これが一番見落とされている

    温度と湿度については建材の吸放散研究でも言及されることがある。だが気圧変化による放出促進は、ほとんど議論されていない。

    気圧が低下すると、建材内部の細孔に閉じ込められた気体成分は膨張しようとする圧力差が生まれる。1013hPaから990hPa程度への低下は約2.3%の気圧変化だが、閉塞した細孔内では有効に働く可能性がある。

    「低気圧が来ると関節が痛む」という感覚報告と同様に、「低気圧の日に部屋が臭い」という感覚報告は複数のマンションオーナーから聞いたことがある。これを「気のせい」と切り捨てるのは早計だと思っている。

    あ、これは余談だけど——自分でこのメモを書いていて、気象病の研究者と建材の研究者がこれまで対話したことがあるのかどうか、ふと気になった。分野が完全に分断されているとしたら、もったいない気がする。

    「複合条件」という本当の問題

    温度・湿度・気圧を個別に考えるのは分析の第一歩にすぎない。

    実際の住環境では、これらは同時に変動する。梅雨の低気圧通過時には「気圧低下+高湿度+気温上昇」が同時に起きる。これは匂い放出の引き金が3本同時に引かれる状態だ。

    「これは想定と違う」と感じたのは、各変数の単独影響よりも、変化の速度と方向性の組み合わせの方が重要かもしれないという点だ。

    たとえば、「気温が高い状態が続く」よりも「急激に気温が上昇した瞬間」の方が放出が激しい可能性がある。平衡状態に向かう過程での非平衡な放散、という視点だ。建材のVOC放散測定に使われるチャンバー試験(JIS A 1903等)は一定条件下での測定が前提だが、現実の住空間はつねに非平衡にある。

    【調査メモ】チャンバー試験の条件設定(温度28±1℃、相対湿度50±5%、換気回数1回/h)は、放散の「定常状態」を測るには適切だが、「引き金を引いた瞬間」のピーク放散を捉えるには向いていない。入居者が実際に苦情を言うのは定常状態ではなくピークの瞬間だ、という点で、試験規格と現実の乖離がある気がしている。

    吸放湿性というパラドックスの核心

    建材として石膏ボードを評価する文脈では、吸放湿性は常に「優れた性能」として紹介される。それは正しい。

    しかしその同じ多孔質構造が、悪臭成分・VOCを蓄積する能力の源泉でもある。そして温度・湿度・気圧という外部条件の変化が引き金となって、それらを放出する。

    吸放湿性に優れるとは、外部環境の変化に感応しやすい構造を持つ、ということでもある。

    これは長所と弱点が同一の構造から生まれているというパラドックスだ。そしてこのパラドックスに対して、現時点での業界の標準的な対応——表面塗装、防臭コーティング、活性炭添加——は、いずれも「表面で食い止める」アプローチだ。

    だがすでに内部に蓄積した成分が、外部条件の変化を引き金として放出される現象に対して、表面処理はどこまで有効なのか。

    この問いに対して、明確な答えを持っている資料にはまだ出会えていない。

    解決策を持っているわけではない。ただ、この問いを立てた人間がどれだけいるか、という点は気になっている。


    次に調べたいのは、石膏ボードの細孔内に吸着した成分の「滞留深度」と「放出に要する時間スケール」の関係だ。表層数μmに吸着したものと、数十μm深部に到達したものとでは、外部条件の変化に対する応答速度が異なるはずだ。もしその差が計測可能なら、「なぜ数週間後に急に臭くなるのか」という現場観察の説明に近づけるかもしれない。

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  • 左官職人が黙って知っていたこと

    去年の秋、大正区の古い物件をリノベするときに、70代の左官職人と二日間一緒に現場にいた。

    その人、ほとんどしゃべらないのに、壁を触っただけで「ここ、湿気が抜けてないな」って言うんだよ。

    私は「え、見ればわかるものですか?」と聞いた。

    「見るんじゃなくて、感じるんです」と言われた。

    そのとき私は正直、「年寄りのカン話か」くらいに思っていた。

    完全に間違っていた。


    その後しばらく経って、消臭の勉強を改めてやり直しているときに、左官の世界で「呼吸する壁」という言い方があることを知った。漆喰や珪藻土でできた壁は、湿気を吸って、乾燥すると放出する。呼吸、というのはそういう意味だ。

    要するに、壁は生きている。

    私はずっと、壁を「固い仕切り」だと思っていた。でも実際には、壁は部屋の湿度を調整しながら、においの分子まで一緒に吸い込んでいる。

    炊き込みご飯を毎週作っている台所を想像してほしい。換気扇を回していても、あの油と醤油のにおいは、壁の中に少しずつ積み重なっていく。表面を拭いても消えないのは当たり前で、においはすでに「中」にいるからだ。

    スポンジを洗わずに絞るだけで、「きれいになった」と思っているのと同じことをずっとやっていた、と気づいたのが3年ほど前。


    左官職人が体で知っていたのは、「壁は一枚のフィルターだ」ということだと、私は今そう解釈している。

    古い物件に入ったとき、パァッと何かがくる感じ、わかる人にはわかると思う。あれは空気のにおいじゃなくて、壁が長年かけて吐き出しているものだ。

    孤独死の現場で何度も消臭をかけてもにおいが戻ってきた経験がある。「よし、これで終わりのはず」と思うたびに戻ってきた。当時は製品の問題だと思っていたけど、違った。壁の中から出てくるものを止めていなかっただけだった。

    左官職人はそれを言葉にはしなかったけど、手で知っていた。

    私は10年かけてようやく、その意味がわかってきた気がしている。

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  • ピラミッドの壁と、うちのマンションの壁は同じだった

    去年の夏、入居者が亡くなった部屋の原状回復をしていて、業者の人間から�妙なことを言われた。

    「この壁、石膏ボードですよね。石膏って、実はピラミッドにも使われてたんですよ」

    そんな話、急に言われても。

    でも気になって、その夜ちょっと調べてみた。本当だった。古代エジプトのピラミッドの内壁、あの石の継ぎ目を埋めていた素材が、硫酸カルシウムを主成分とする石膏系の材料だというのだ。要するに、4500年前から人間は「壁を平らにするのに石膏を使っていた」ということになる。

    それを知った瞬間、自分のマンションの壁が急に違って見えた。

    現代の建物の壁は、ほとんどの場合「石膏ボード」が使われている。石膏に紙を貼り合わせた板で、軽くて加工しやすい。コストも安い。だから日本の住宅のほぼすべてに入っている、と言っても大げさではないくらい普及している。自分が持っているマンションも、全室そうだ。

    ここまでは知っていた。

    知らなかったのは、石膏がどういう素材かということだ。

    石膏は多孔質、つまり細かい穴が無数にある。スポンジみたいなもの、と言えばわかりやすいか。湿気も吸う。においも吸う。調湿効果があると言われて、昔は「身体にいい素材だ」と思っていた時期もある。

    でも、吸うということは、溜め込むということでもある。

    「よし、消臭した。これで大丈夫なはず」と思っても、しばらくするとモワッとにおいが戻ってくる。あの感覚、特殊清掃の後に何度経験したかわからない。以前は「業者の消臭が甘かったんだろう」と思っていた。でも実は違った。壁の中に吸い込まれたにおいの分子が、時間をかけてじわじわと放出されていたのだ。

    炊き込みご飯を作った後の鍋を洗い忘れて翌朝開けた時のあの感じ、あれに近い。密閉された空間に、じっくり染み込んだものが出てくる感じ。

    石膏ボードの壁は、においを一度受け取ると、なかなか手放さない。

    ピラミッドの壁が何千年も残っているのは、石膏が安定した素材だからだ。安定しているということは、中に取り込んだものも、簡単には出ていかないということでもある。

    4500年前から変わっていない素材が、自分の部屋の壁に貼ってある。そう思うと、においが「染み付く」という感覚が、急にリアルになった。

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  • 石膏ボードはなぜ匂いを「飲む」のか:VOC吸着の内側

    先月、施工後4年が経過した物件の壁をサンプリングした。

    表面から5mmほどのコアを取り出して、簡易的な加熱脱着にかけてみた。出てきたのは、もうそこに住んでいない入居者が使っていたと思われる柔軟剤の香り成分と、調理由来と思われる油系のにおいの混合物だった。

    「これは想定と違う」と正直に思った。

    壁紙を剥がした下の石膏ボード表面に、4年前の記憶が閉じ込められていた。建材が「履歴」を持つ、という感覚を初めてリアルに理解した瞬間だった。

    吸着とは何か、をもう一度整理する

    VOC(揮発性有機化合物)が建材表面に「吸着する」という言葉を、私はずいぶん長い間、なんとなく使ってきた。でも実際のメカニズムを調べるほど、これが単純な現象ではないことがわかってくる。

    吸着には大きく分けて2種類ある。物理吸着と化学吸着だ。

    物理吸着(physisorption)は、ファンデルワールス力による弱い結合だ。分子間に働く微弱な引力で、吸着した分子は比較的容易に脱着できる。温度を上げたり、周辺濃度が下がったりすれば放出される。

    化学吸着(chemisorption)は、共有結合やイオン結合レベルの強い相互作用だ。一度吸着すると、通常の温度・湿度条件では脱着が起きにくい。

    石膏ボードで問題になっているのは、この両方が同時に起きているということだ。

    石膏(硫酸カルシウム二水和物、CaSO₄·2H₂O)の結晶構造は層状になっており、その表面にはカルシウムイオンと硫酸イオンが露出している。極性を持つVOC分子、たとえばアルデヒド類やケトン類は、これらのイオンと静電的な相互作用を起こす。アルデヒド基(-CHO)は特にカルシウムイオンとの親和性が高いとされている。

    一方、無極性に近い炭化水素系VOCは、石膏表面そのものよりも、紙面材の繊維やボード内部の有機物部分に物理吸着しやすい。

    つまり石膏ボード1枚の中で、化学的な性質が異なる複数の「吸着サイト」が競合しながら存在している。

    多孔質構造という両刃の剣

    石膏ボードの比表面積は、製品グレードによって異なるが、BET法による測定でおよそ2〜10 m²/g程度の範囲にあることが報告されている。

    これは一見、活性炭(500〜1500 m²/g)などの吸着材と比べると小さな数字に見える。しかし建物一棟の内壁・天井に使われる石膏ボードの総質量を考えると、話が変わってくる。標準的な2LDKのマンション一室で、石膏ボードの総使用量は軽く400〜600kgを超える。比表面積が仮に5 m²/gであっても、それだけで2,000〜3,000 m²の吸着面が室内に広がっていることになる。

    そしてここが核心になる。

    この多孔質構造は、石膏ボードが「吸放湿材」として機能する根拠そのものだ。JIS A 6901に規定される調湿機能の仕組みも、この毛細管構造と密接に関わっている。湿度が高いときに水蒸気を吸い込み、乾燥したときに放出する。これが「壁が呼吸する」という表現の実体だ。

    ところが、水分子だけがこの多孔質構造に出入りするわけではない。

    VOCは水より分子量が大きく、一度細孔に入り込むと拡散速度が遅くなる。毛細管凝縮という現象が起きると、VOCは液体に近い状態で細孔内に保持される。この状態になると、単純な換気や乾燥では脱着が進まない。

    吸放湿という長所と、VOC蓄積という弱点が、まったく同じ構造から生まれている。

    私はこのことを「石膏ボードのパラドックス」と呼んでいる。業界がこの矛盾に対してどれほど自覚的かどうか、私にはまだわからない。

    【調べていて気になったメモ①】
    毛細管凝縮が起きる細孔半径はケルビン方程式で推算できる。20℃・相対湿度50〜60%の条件では、おおむね1〜5nm程度の細孔で凝縮が生じる。石膏ボードのこのサイズ域の細孔分布データを持っているメーカーが国内に何社あるのか、私は把握できていない。もしデータがあるなら、ぜひ見てみたい。

    湿度が「ゲートを開く」問題

    ここは私もまだ完全に理解できていない部分だが、湿度とVOC吸着の相互作用について書いておく。

    直感的には、湿度が高い状態では石膏ボードの細孔が水分子で占有されるため、VOCの吸着が抑制されるように思える。競合吸着の考え方だ。

    ところが実測データを見ると、これが単純にそうならないケースがある。

    ホルムアルデヒドを例にとると、相対湿度50%前後の条件で吸着量がピークに近くなるという報告がいくつかある。高すぎても低すぎても吸着効率が落ちる。湿度が低すぎると、石膏表面のイオンサイトが「乾いた」状態になってアルデヒドとの相互作用が変化するのかもしれない。湿度が高すぎると、水分子が先にサイトを埋める。どこかに「最も吸いやすい湿度域」が存在するようだ。

    あ、これは余談だけど、この話を最初に読んだとき、私は農業の「畑の保水性と養分吸収の関係」を思い出した。水が多すぎると根が養分を吸えなくなる、というあの話だ。まったく違う世界の現象が、なんとなく同じ構造を持っているように感じることがある。

    話を戻すと、つまり梅雨明け直後のような「湿度が急激に変化する」タイミングで、石膏ボードのVOC吸放出挙動が変動する可能性がある。「梅雨が明けたら急に部屋がにおうようになった」という入居者の訴えが時々あるが、これがその一因である可能性を私は疑っている。

    【調べていて気になったメモ②】
    ASHRAE 62.1では室内空気質の換気基準が定められているが、建材からの「再放散(re-emission)」についての扱いは今のところ限定的だ。ISO 16000シリーズもVOC放散の測定手順を定めているが、長期蓄積後の再放散挙動を標準化した試験方法はまだ確立されていないと理解している。つまり「建材が将来どれだけ吐き出すか」を事前に評価する共通の尺度が、現時点では存在しない。

    「吸った後」のことを誰も語らない

    VOC規制の話題になると、建材メーカーも施工業者も「放散量」の話をする。F☆☆☆☆(フォースター)基準がその代表だ。JIS A 1460に基づくデシケーター法でのホルムアルデヒド放散量。これは新築・施工直後の放散量を測る指標だ。

    しかし、施工から1年、2年、4年と時間が経過したボードが、内部に何を蓄積し、何をいつ放出するか。その挙動を規定する指標は、現行の規格体系の中に存在しない。

    最初に書いた「4年後のサンプリング」の話に戻る。

    4年前の柔軟剤の成分が壁の中にいた。それは「建材は竣工時の化学的状態を維持し続ける」という暗黙の前提が間違っている、ということを示している。

    石膏ボードは使用されるうちに、居住空間の化学的な「記憶媒体」になっていく。入居者が変わっても、その前の生活の痕跡が壁の中に残る。

    「吸放湿材として優れている」という評価と、「VOCを長期間蓄積する」という事実は、分けて語ることができない。同じものだからだ。

    この問題を「壁紙の防臭コーティングで対処する」という方向性では、根本的な解決にならない。なぜなら問題はボードの表面ではなく、内部の多孔質構造そのものにあるからだ。コーティングは「入口」を変えるかもしれないが、「構造」は変わらない。

    既存の手法がなぜ根本的に機能しないのか。それはアプローチのレイヤーが間違っているからだ、と私は考えている。ただし、では何がそれに替わるのか。そこについては、私の手元にある情報と思考だけでは、まだ答えが出せていない。


    次に調べたいのは、石膏ボードの製造プロセスにおける焼成温度と細孔分布の関係だ。半水石膏(CaSO₄·½H₂O)が二水石膏に戻る再水和のプロセスで、細孔の「形状」がどう決まるのか。そこに、吸着特性の設計可能性があるとすれば、話は別の局面に入る。そこまで見えたとき、このノートの続きが書けると思っている。

    この研究について情報交換・ご連絡は keshisaru-g@keshisaru.com まで。

  • パリの石膏——ヨーロッパの壁に何が塗られていたか

    去年の秋、仕事で一度だけパリに行った。観光じゃない。現地のビル管理をやっている知人に会うためだ。

    その知人のオフィスが入っているのが、19世紀に建てられた古いアパルトマンで、壁がやたら白くてツルッとしていた。「これ、何が塗ってあるんですか」と聞いたら、「石膏だよ」と返ってきた。

    石膏。

    そのとき正直に言うと、「石膏って黒板に使う、あの白いやつ?」くらいの認識だった。それが壁に塗ってあるとは思っていなかった。日本の壁はだいたいビニールクロスか塗装だから、感覚がまるで違う。

    で、帰ってきてから少し調べた。

    石膏プラスター、というのがヨーロッパの建物の壁に長く使われてきた素材だ。要するに、硫酸カルシウムという鉱物を焼いて粉にして、水で練って壁に塗ったもの。乾くと固まって、あの白くてなめらかな壁ができる。

    パリの場合、地下にパリ石膏(Plâtre de Paris)と呼ばれる質のいい石膏の鉱脈があった。それを掘って使っていたから、街中の建物に石膏が行き渡っていた。モンマルトルの丘の地下にも採掘跡が残っているらしい。観光で見るあの白い街並みは、そういう地質的な偶然の上に成り立っているわけだ。

    以前は「ヨーロッパの壁って丈夫だな」くらいにしか思っていなかったが、実は違った。石膏プラスターが持っている性質が、あの「壁の感じ」を作り出していた。石膏は適度に湿気を吸って、また放出する。呼吸している、と言うと少し大げさだが、調湿機能がある素材なのだ。冬に暖炉を使う環境で、壁が湿気を緩衝してくれていた、ということになる。

    たとえて言うなら、素焼きの器に近い。陶器だと水が染みないが、素焼きだとじんわり吸う。石膏の壁はあれに似た感じで、空気の湿り気を受け止めている。

    ここで話が少し変わるが、私がマンションで特殊清掃後のニオイ問題に長年頭を悩ませてきたのも、実は壁の素材と無関係じゃないと思っている。コンクリートに直貼りのビニールクロスと、石膏プラスターの壁では、ニオイの残り方がまったく違う。石膏は多孔質だから、ニオイの成分を吸い込む。ただし、同じ理由で、ちゃんと対処すれば出てもいく。ビニールクロスの下で封じ込まれているより、ある意味で素直な素材だと感じている。

    「え、うちのマンションの壁ってそうなってるの?」と思った人へ。日本の集合住宅の多くはビニールクロス仕上げだから、石膏プラスターむき出しの壁はほぼない。ただし、下地に石膏ボードが使われているケースは多い。石膏ボードは石膏を紙で挟んだもので、石膏プラスターとは別物だが、同じ素材系譜にある。その話はまた別の機会に書く。

    今日はまず、「ヨーロッパの壁って石膏だったんだ」という入口だけ。

    → もっと詳しく知りたい人は研究記事へ

    この研究について情報交換・ご連絡は keshisaru-g@keshisaru.com まで。